フィルターのかかった願いを伝えてみる。
久しぶりの投稿ですね。
いまぼくは「Meeeラボ」という自己理解のコミュニティに入ってます。
「Meeeラボ」についてはこちらから↓
自己理解をアタリマエにするコミュニティ #Meeeラボ | 自分コンパス
自己理解を進むにつれ、自分が感じることが多くなった「探している物」が出てきたので今日はそのことについて書こうと思います。
探している物
最近自己理解をする中でひしひしと感じるようになった探している物があります。それが「自分のすべてを受け入れてくれる環境・人」です。
正直、こんなことを書くのは恥ずかしいです。「自分のすべてを受け入れてよ!!」なんておこがましい。わがままだ。そう思ってしまう。でも確実にこの想いがあるわけです。確実にあるこの想いを殺してしまうのはすごく悲しいことだと思うんです。むしろ、この想いを純粋に伝えたい。そういう葛藤ごと書いてしまおうと思うわけです。
「自分のことを自分で受けいれる」ということだけが正しいわけじゃない
この社会に流れている「自分で自分のことを受け入れろ」という考え、確かにもっともだとは思います。でも同時にこの考えはそうなれない自分を苦しめていました。ぼくは「周りに自分が認められているな。受け入れられているな。」と感じてはじめて自分を出せるタイプです。
これを感じてるときと感じてないときではぼくの態度は180度ちがう。本来の自分は自分のことを話すのが好きで自分を知ってほしい。そうやって周りを楽しませて、自分も楽しみたい。それをモットーに生きています。でもここ最近はこの存在がなくすごく自分が苦しんだんです。
「自分のすべてを受け入れてくれる環境・人」がほしいという想いを持ってるのは個人的にすごく恥ずかしいんですよ。「重い人間だな。」と思われないだろうか、そこらへんを気にしてしまうほど繊細な人間でもあるので。
自分の想いの存在くらい認めてあげよう
でも人間はどこかでこういうものを探していると思うんです。そしてこんなことを言うと「みんなそうなんだよ」という言葉でかたづけたくなる。でもそんな言葉で片付けてしまったら、なおさら辛くなる。「みんなそうなんだよ」という言葉がまるで「おまえもその想いを我慢しろ」と言ってるようで。
だからこそこの想いを声高らかに伝えたいわけです。もしあなたもそう思ってるならそう伝えてみてほしい。そこまでいかなくてもその想いがしっかりあることを認めてしまえと。その想いは決して恥ずかしい物じゃない。ぼくからすればその想いを持ってるのは当たり前だから。だからあまりその想いを否定しないでほしい。
この想いは決してイエスマンを周りに置きたいというわけではない。いや、実際イエスマンを周りに置きたいのかもしれない。それでもいいじゃないですか。おいてみればいい。それすら獲得しないで自分がどうなるかなんてわからないですよ。
ストレングス・ファインダーを通して見る
さて、ここまで長々と自分の想いを書いてきたわけですが、この想いをもう少しわかりやすくして話します。ここからはぼくの好きなストレングス・ファインダーの話を中心にこの想いを話しますね。
ぼくのこの想いと強くつながっているのは【自我】という資質です。この資質には長年苦しんでいました。今も少し苦しんでるのかもしれません。
【自我】という資質は”自己重要感”です。他人にとって自分が優秀な人物だとみられたい。この資質はものすごいエネルギー量を持っています。上へ向かおうとするエネルギーです。
その一方でびっくりするくらい繊細な資質でもあります。驚くほど周りを気にしてしまう。あまり言い訳にしたくないですけど、この事実は認めておく必要があります。認められるから次に進めるんです。
決して自分勝手というわけじゃない
ここまで書くと、【自我】は自分勝手なんじゃないかと思われるかもしれない。そして、「自分のすべてを受け入れてくれる環境・人」がほしいという願いも自己中心的に動きたいだけなんじゃないかと。
でもそんなことは全くないんです。【自我】が感じたいのは自己重要感、つまり、「あなたにとって私が重要だ」と思われたいんです。そしたら行動は他人を思いやった行動だってとるんですよ。決して自分勝手になりたいわけじゃない。むしろ、人に賞賛、感謝されることでじぶんを充たしたいんですから、人の役に立ちたいって想いは強いんですよ。
「自分のすべてを受け入れてくれる環境・人」っていうのも自分の力を人の役に立たせて影響を与えたいから必要なんです。決して自分勝手ではない。そんなに責める必要ないですよ。
最後に
【自我】という資質を温める。それがまずは大事だと思っています。だから「自分のすべてを受け入れてくれる環境・人」をさがすことをやめないでほしい。必ずそういう場所や人はいますから。なんとなくですけどね。
【自我】持ちの人にかぎらず、こういう想いを持っている人を最低でもぼくは好きです。だから自分のほしいと思ったものは声高らかに伝えていきましょう。それはとても勇気のいることです。でも焦らなくていいです。じっくりその思いを向き合ってみて、「素直になれたな」って思ったら伝えてみる。無理なら無理でけっこう。それが普通だと思っておけばいい。
大丈夫ですよ。望んでるんだから、手に入る。「無責任に大丈夫とか言うな」っておもったならそれでけっこう。生きやすい方を選んでください。「自分のすべてを受け入れてくれる環境・人」を探しましょう。一緒に。
ほな、さいなら
もしあなたが勇気がでないなら読んでみてほしい。
多くのひとが、プロデュースで大切なのは、本物かどうかを「見極める力」だと思っているんだけど、実際には「信じ続ける力」なんだと思う。「あなたならできる」どころか「既にあなたはできているじゃないか」と、あの手この手を使いながら本人を説得し、自分も一緒にその魔法にかかること。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) August 27, 2018
先日、鳥井弘文さんのこのツイートを見てめちゃくちゃ納得したんです。ここで言われてるのはプロデュースの話ですけど、これは教育とか人間関係すべてにおいて言える話なんじゃないかなって思うんです。
不足を指摘してくる世の中
今の世の中はいろんなところで不足している部分を指摘し、そこを理由にして訴えかけてきます。「成功には〇〇が必要だった!」という広告とか「ここができてないね」という教育方法とか。色んな場所で不足を指摘される。まるで”今のままのあなたじゃいけない”と言っているような感覚です。
同じ内容を伝える時に2つの選択肢がある。
— Jimpei Yagi / 自己理解 (@yagijimpei) August 27, 2018
「人を不安にさせる言葉」を使うか「人を勇気づける言葉」を使うか。
僕らにはどちらの言葉でも使う自由がある。
さて、どっちの言葉を使おうか?
このツイートを見たときもそうだったんですが、まさにこれに尽きるんです。世の中がわたしたちに語りかけてくる多くの言葉は「人を不安にさせる言葉」です。そうやって行動に駆り立てます。ですが、これは最初こそ行動できるかもしれませんが、だんだん行動できなくなっていきます。
仕組みはこうです。
広告を見る→不安になる→足りない部分を埋めるため行動→能力、物を身につける→違う広告を見る→新しい不足部分を指摘される→まだ自分は駄目なままだと思う→自信がなくなる→行動できなくなる
こうやって人は知らず知らずの内に自信をなくし、勇気を出せなくなり行動できなくなります。
”勇気づけ”でのみ人は動ける
人が動けるようになるのはいつだって”勇気づけ”の言葉です。これはアドラー心理学でも言われています。褒めるとかしかるとかではなく”勇気づけ”をするのだと。そしてその態度は対等という目線によってのみ行われると。
その人が、あなたが、もうすでに持っている物を見つける。その人本来の魅力的な部分を掘り出す。それが”勇気づけ”です。”勇気づけ”は決して弱み強みというでこぼこのでこの部分だけを指摘することではありません。そのでこぼこした形ごと魅力だということに気づかせるということです。
「できない」部分を指摘するような教育はよく見ます。ですが、実際できてないんでしょうか?たまたまできなかっただけじゃないんでしょうか?そのたまたまに気落ちする必要はないですよ。
「既にあなたはできている」という鳥井さんの言葉にはその要素が詰まっています。周りの人間が気づけるようなことはほとんどの場合、本人が1番自覚しています。自覚している時点で「既にできてる」んです。できていってるんです。それを「できてない」というその人の努力を0にするような言葉でダメにしたくないです。
今回話したことは他人にだけではなく、むしろ自分自身に1番関係する話です。多くの人を見てると自分のできないことばかり気にして、自分のできることを軽視しています。当たり前という言葉で軽視するんです。何一つ当たり前じゃないんです。
もっと自分のできること、できてることに注目してください。あなたはもう既に信じられないほど多くのことができているんです。あなたに必要な物はあなたが生まれた瞬間からそろってます。心配する必要は無いです。全部持ってます。だからそのまま一緒に進みましょう。
ほな、さいなら
どん底にいるとき自分をどう回復させていくかの説明書
このブログを始めた目的のひとつに自分の取扱説明書として残しておくと言うのがあるんです。自分の取扱説明書ですから自分を整える順番を知っておく必要があるわけです。あなたも自分の取扱説明書持ってますか?自分のことどのくらい知ってますか?
ぼくは2年程前から1年間、もしかするとここ最近まで乱れまくってたんです。ネガティブ思考だとか焦り、とにかく不安定だったわけです。この期間でも仲良くしてくれた仲間が居るのはとても恵まれてたと思います。
自分を整えるというのは、自分の中を整え、自分が行きたい方向へ向かうための仕組み作りをするということです。自分の周りをどういう環境にすれば自分を行きたい方向へ持って行けるか。その仕組み作りが大切なんです。
そして最近、自分を整える順番がわかったので、自分を整え順を説明しようと思います。これはぼくだけでなく基本的にはあなたにも合う順序だと思うので自分を整えたい方は是非見てください。
ベースメントは健康
自分がどん底に居るとやらなきゃいけないことが多すぎるように思えて、習慣化にしても何からはじめていいかわからなくなると思います。そこで、まず整えるのは健康です。前にこんな記事で健康に投資することを話しました。
ぼくが考える健康は三要素です。食事、睡眠、運動。この3つを整え、習慣化することをまずは目指します。
食事は主に腸を整えることを指します。腸に良いものを食べるんです。腸と脳は相関関係にあり、腸が荒れると脳(思考)も荒れるわけです。腸内環境を整えることが思考ごと変えることにつながるんです。
次に、睡眠です。ぼくは10時寝5時起きをしています。早起きはしただけで最高に清々しい気分になれます。その日一日は朝ですべて決まります。そして、早起きするために大事なのは夜です。夜にしっかり準備をすれば、次の日に素晴らしい一日をつくれるんです。
最後に、運動。ぼくの場合、運動はバスケと筋トレです。ぼくは受験期に運動をあまりしなくて、心配しやすくなった経験があります。特に思考だけで生活すると同じことがぐるぐる頭の中でまわり、狂ってしまいます。適度な運動が思考を軽くして、フットワークも軽くする。そのほかにも、幸せホルモンが出るなど運動をすることで自分を客観視しやすくなります。
基本的には運動を取り入れるところからはじめ、悩む時間を減らしていきます。そしてほぼ同時に食事を整えていきます。運動する時間、食材と向き合う時間を作って悩む時間を減らし、アウトプットする楽しみを思い出すんです。
思考が整えば考えが透き通る
こうして健康を整えると次第に脳の中が整理されていき、ぼやけていた考えがはっきりしてきます。ここまで来たら次はさらに習慣化したいことを考えていきます。
健康を整えることも習慣の内なのでそれを続けた上で、他に習慣化したいことを挙げていくんです。たとえば、ブログを書くとか家事をするとかです。習慣化したいことを決めたら実行です。習慣化のコツについてはこの記事に書いてあるので読んでみてください。
習慣が判断基準を作る
習慣をつくり、やっていく内に自分の行動に関しての基準ができてきます。正直ここまでくれば自然と流れができています。「決断するとは”何をしないか”を決めることである」とよく言いますがまさにその通りで、行動していく内にその基準が勝手にできてきます。
習慣化がうまくいっていれば、自己肯定感も高まり、自分との約束を守りやすい体質になっているので断ることもできるようになっています。その判断基準に従い、自分のやりたいことに集中できる環境が整えば自然と人は行きたい方向へ向かえるようになります。
目標をつくり推進力を上げる
習慣が整い、自分の生活の流れが良い方向で安定してくると時間に余裕ができはじめます。そこで目標をたてます。目標を立てることで漠然とした方向性から1本の矢印ができます。進む方向が決まれば、一歩一歩が着実に近づいてるとわかるようになり、歩みも早まります。こうやって徐々に自分の中と外を整えていくんです。
さいごに
いまのところここまでがわかっている自分の行きたい方向への持って行き方です。自分がどん底に居るときは正直、周りの助けもめちゃくちゃ居ると思います。そのできないところは後からできるようになれば良いと割り切って、できるところからはじめていく。自分を整えていくんです。
自分の取り扱い方はこれからもどんどん増えていくと思います。あなたも自分の取扱説明書をつくってみてください。
ほな、さいなら
スマホを手放したいけど手放せない。その問題を10分で解決する方法
なんとなくスマホを触っちゃう。スマホを触ってたら一日が終わってしまった。触りたくないのにスマホを手放せない。こういうことありますよね。
今はスマホ社会でスマホを触るのが当たり前で周りもずっと触っています。だからこそ自分も触ってしまう。大多数が触ってるから自分もスマホ触ってても当然だと思ってしまう。人間は環境に依存する生き物ですからこう考えてしまうのは仕方が無いです。ですが仕方ないでは終わらせたくない。
この記事を読んでるあなたは本当はやめたいんだってことを自覚してるってことですよね。今回はその原因も含め、スマホを手放しスマホを触らない習慣作りの工夫を紹介します。
スマホを使いにくくする
スマホを手放すうえで重要なのはスマホを使いにくくすることです。これだけだとざっくりしすぎてます。なので、まずはスマホを使うことがどういう仕組みになってるかを説明します。
スマホはとても便利な物です。手に取るだけで使えて、自分が消さない限りやめられない。使うときはスマホの電源ボタンを押すという一つの選択肢です。ですがやめるときは電源ボタンを押すほかに他のアプリを開くなどの別の選択肢がある。一回やめたとしてももう一度使い始めるのが驚くほどに簡単なんです。要は、入口戦略と出口戦略が完璧なんですよ。
便利なだけに不便なんです。コントロールするということがしにくい。デザインに踊らされるんです。
では、具体的にどう使いにくくしていけばいいのか。
1.スマホのパスワードを”touchID→15~20文字のパスワード”にする
まずは、スマホのパスワードを変えましょう。touchIDやFaceIDをしているなら即座にやめましょう。そして15~20文字くらいのパスワードに変えるんです。15~20文字ともなると打つのが相当めんどくさいです。もう一度でも間違えると最初からやり直しなのでその時点で開く気なくなります。
心配なのは覚えられるかどうかですよね。そこに関してはおすすめがあります。それはパスワードを人生の指針となる言葉にすることです。この方法はこの記事でみかけてぼくもやっています。
これめちゃくちゃおもしろいですよね。一種の自己暗示です。この方法を取り入れることでパスワードを忘れる心配はないですし、自分を良い方に洗脳することもできます。一石二鳥です。実際に人生が変わるかどうか僕と一緒に試してみましょう。きっとうまくいきます。
2.スマホを生活の動線におかない
次に紹介するのは、スマホを生活の動線に置かないという工夫です。ぼくのおすすめは玄関です。僕の場合一人暮らしなのでほとんどに場所が生活の動線に含まれます。それでも玄関は出る寸前まで行かない場所です。
玄関に置くとコンセントがあることが少ないので「充電できない」と思うでしょう。僕もそこは困りました。そこでお勧めしたいのは携帯充電器で充電する方法です。携帯充電器で充電すれば必ず充電できますし、過充電も避けられます。望ましいのは携帯充電器の2個持ちです。2個の充電器でスマホの充電と携帯充電器自体の充電を回すんです。こうすればサイクルはとめどなく続きます。
3.使ってしまうアプリを後ろの画面のフォルダに入れる。
なんとなく使ってしまうアプリってありますよね。ゲームアプリなら消せばいいんですが、消すわけにもいかないアプリだってあります。そういう時はこの方法を試してみてください。
ぼくの場合だと、LINE 、Twitter、インスタ、サファリ当たらいのアプリです。これらのアプリを後ろのほうの画面に持っていきフォルダにいれ、かつさらにフォルダの中でページをわけてます。
iPhoneの場合だとSiriからの提案って形でよく使うアプリはすぐ使えるようになってます。それも「設定→Siri→Siriからの提案オフ」という形でなくしましょう。
4.音楽プレイヤーを別で持つ
これは今はいまいちできてないんですが、大学受験期に使っていた方法です。その時はウォークマンを使っていました。スマホを触る理由に音楽をかけるっていう理由があると思います。今僕はAmazon Echoにプレイリストを勝手にかけてもらうことで代用していますが、別の音楽プレイヤーがあればそれに勝るものはありません。音楽に関することは音楽プレイヤーに完全に移行させましょう。
最後に
以上がスマホを手放すための具体的な行動方法です。なにかひとつではなく一気にやってください。4番目の工夫以外は10分程度でできるものばかりです。ぜひスマホを触る習慣をなくし、やりたいことに時間を使える体質にしていきましょう。
ほな、さいなら
「積みへらす」ということがどういうことか
ぼくのミニマリストやエッセンシャル思考的な生き方の中心に自分を積み減らすという考え方があります。これまでも何度も出てきている言葉ですが詳しく書いてなかったので説明しようと思います。
ミニマリストやエッセンシャル思考がどういうものかわからないならこの記事を読んでください。
自分を積み減らす
まず、「自分を積み減らす」というこの言葉は有名なアーティスト岡本太郎さんの本『自分の中に毒を持て』で書かれていた言葉です。
人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う。財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きができなくなる。
人生に挑み、本当に生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれ変わって運命を開くひらくのだ。それには心身とも無一物、無条件でなければならない。捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。
ここで書かれているとおり、足していくということは本来の自分を埋めていくと言うことです。自分を積み減らすというのはいままで得た経験則を捨てていくということです。
足すと軸ができる
足している部分だけが積み重なり、軸ができ、そこに固執するようになる。物理的にもそうですよね。積み重ねようとするとその部分に視点を集めます。視界が一点だけに固まってしまうんです。そうしてるうちにその一点だけが世界のすべてだと思うようになる。けど、実際は自分が思うより自分は幅広いんです。
足していくとその足している部分だけが”自分”のように思えてしまいます。幅広い自分の多様性の中でそこだけが”自分”だと思うんです。でも、そうやって生きているととても辛く、そして自由じゃなくなっていきます。
自在さを保つために「自分だと思ってた部分」を一度手放すことが大事なんです。ですが手放すくらいの気持ちでは離れられない。だから捨てる勢いで行動する。それが新たな自分をつくるようになるんです。
積みへらすことで自分の純粋な部分に気づける
そして「捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。」と言ってるとおり、積みへらすほど自分の純粋な部分がわかってくるんです。そこがわかって、その純粋な部分に従って生きることでいのちが喜び、ふくらんでいくんです。胸がふくらむっていうのはそういうことです。
教育や多くの広告はまるで今の自分には何かが足りてないかのように言葉を放ってきます。「〇〇をできるようにしよう」とか「〇〇不足じゃありませんか?」みたいな言葉ばかりです。そんな言葉を聞いてるうちに「自分は不足している駄目な人間なんだ」っていう思い込みができます。
けど、そんなことはない。あなたはすでに必要な物はすべて持ってます。溢れんばかりにもってる。そこを大事にしてほしいんです。足していくばかりでは、自分の持っている物にすら気づけない。自分が思ってるよりあなたは持ってます。それに気づくためにはやっぱり自分を積み減らしていくしかない。
自分のキャラなんか定めずにどんどん打ち破っていけばいいんです。これもあれも全部自分です。認識している以上に自分は広い。だから減らしてみてください。積みへらしてください。
ほな、さいなら
心が折れそうにな時なんてめちゃくちゃある。だからこそ同士を忘れないで。
どうも!画家を目指す!と言ってるぼくですが、心が折れそうなときはめちゃくちゃあるんですよ。今回はそのことについて書かせてもらいます。
心が折れそうなときだらけです。画家を目指すと言ってるわけですが、道が見えてるわけでもなく、同じ方向に進む仲間が居るわけでもない。むしろ真反対のような道に進む友達ばかりで、行動ごと理解してもらえないんじゃないのかって孤独感を感じるわけです。
前の記事で「就職しないって選択肢も考えろ」と言い切りましたが、ぼくが就職しないっていってるわけではないです。憶病者ですし、選択肢はできるだけ残しておきたい気持ちもあります。それでも、そっちの方向に心はわくわくしてないわけで、画家という道を想像するたびに心が躍るのがわかるんです。
だからこそ、そっちの方向に踏み切りきれない自分にイライラすることもあり、心が折れそうになるんです。怖い。人に疎外されるのが。人が好きで承認欲求も強いぼくにとってはけっこう辛いことですからね。孤独はよくても孤独感はうれしくないです。
自分をだますのはもう無理
だからといって、夢を諦められるかと言われればそんなことはしたくないんです。もう何年も諦めようと目を背け続けてきた。それでも絵はずっと描いていて、頭から画家という言葉は離れなかった。だから画家になったんです。
小6の頃からずっと目を背けてきて、大学生になった今、ようやく気づけたんです。親からもまわりからも「絵の道進まないの?」って尋ねられて、ずっと振り払ってきた。ここまでやって自分が納得してないんです。だったらもうなっていけるところまで行くしかないんですよ。
今でも隙あらば自分をいさめようとします。冷静になったふりをして、大人になったふりをしてじぶんを責めようとするんです。けど、そんなものは逆にいさめてしまおうと思います。
俺の敵はだいたい俺です。
宇宙兄弟の六太の言葉です。これめちゃくちゃわかるんです。こうやってずっと自分を抑えてきた。けど、もうやめます。徐々にでしょうがやめます。
自分の絵に価値がないとか、自分を卑下するのはもう飽きました。自分をまるで不幸者のように扱うのはもうやめです。ぼくの絵の価値を自信を持って提示していく、周りを巻き込み、こっちを向かせる。そうやって敵である自分を打ち砕いていって、敵だった自分ごと仲間にして、自分を積み減らしていきます。そうやって生きたいんです。
もちろん、孤独に生きたいわけじゃないです。むしろみんなと仲良くいい仲間とともに生きたい。だから、もしあなたが情熱を傾けるものがあるなら、ぼくを思い出してください。ぼくも進んでいきますから。自分のペースで自分の生きたい道を。
一緒に楽しんでいきましょう。
ほな、さいなら
妥協がさらなる物欲を呼ぶ。自分をだまさない買い物が自分を広げてく
これまで物にこだわることを書いてきて、妥協しないことを書いてきました。そのことに関してはここら辺の記事を読んでみてください。
あなたは妥協やめましたか?妥協の何が悪いと自分を無視してないでしょうか?
別に妥協することが悪いとは思わないわけです。したければすればいいです。”したければ”の話ですが。でも、妥協”したい”人なんていないです。もうその時点で自分をだましてます。そしてやっぱり、妥協をせずに物を選んでいくことで物事がいい方向に回っていくんです。
ZOZOTOWNの社長の前澤友作さんの話を知ってますか。前澤さんはお金を一気に使うんです。最近はバスキアの絵を123億で購入しました。そうすることで自分の名前を世界中に知らせることができたんです。わざとかどうかは別として、そういう妥協しないお金の使い方が自分の枠をぐっと広げてくれるんです。
妥協するから物欲がとまらない
妥協する理由の一番に挙げられる理由が「お金が足りない」です。お金が足りないから”本当はほしい”けど 、似たような安い方にしておく。
これがさらなる物欲を生むんです。自分の型にぴったりはまった物を買えば、それで物欲は埋まります。ですが、型と少しでも違う物を買えば、その型は埋まることなく変形し、さらなる物欲で埋めようとする。でも、また妥協するから穴は埋まりきらず、また新しい物を買おうとする。悪循環が生まれるわけです。
この循環は妥協をやめない限りいつまでも続きます。妥協が物欲を呼ぶんです。そうしているうちにじぶんのもともとの型の形ごと忘れてしまう。自分の好きを忘れてしまうんです。妥協して買うことで最終的にはお金をより使うことになる。
妥協が生むのは消費だけじゃない
妥協して買った物はお金のような見える物以外にも影響があります。自分の日々の気分です。妥協して買った物は決してじぶんを充たしてくれません。なので、自分の志気は下がり、日々の行動にもメリハリがなくなります。
逆に、妥協せずに自分のときめく物を買えば、それを使うことが楽しみになるんです。これが『人生を変えるモノ選びのルール:思考と暮らしをシンプルに』で言われてた物で自分を動かすという方法です。習慣作りも物に頼るんです。
ものが与えるエネルギーは思っているよりも大きいです。だからこそそれが自分のときめく物かが大事なんです。ものに精一杯の投資をする。それが人生を好転させていくことにつながります。
最近、ぼくは「エアフォース1'07 WB」というスニーカーを買いました。これです。
もともとエアフォース1を長年は居ていたのですが、ここ一年ほどは違うスニーカーを履いていたんです。そして改めてエアフォース1に戻り、しかもときめくデザインにしたことで外に出るのがめちゃくちゃ楽しみになったんです。毎日歩く最中もたまに足下を見てにやつく。そんな感じです。
今のは「歩く」「外出する」ということだけですが、それでも違ってくるわけです。だからこそ、仕事や勉強の道具はこだわった方がいいです。妥協なんてしないで。
妥協せずに物を買うことは自分の気持ちを上げてくれるだけじゃなく、生産性の向上にもつながります。「ときめく物を買う→その物を使いたくなる→何かを生産する→スキル向上→お金を稼げる」こういった好循環をつくることができるんです。
妥協は徐々に自分の生活を削っていきます。物を買うとき自分がときめくかどうかでその買い物が消費になるか投資になるかを決めるんです。たったそれだけです。だからこそお金は稼ぐより使う方が難しいんです。
さいごに
ここまで、妥協をするなと言ってきましたがお金を使えってわけじゃないです。自分にとって「これがいい」という絶対感を持つんです。人から見たらしょうもない物でも自分にとっては最高。そんな物があるって最高じゃないですか。
こうやって妥協せず買うことで自分を知ることにつながっていくんです。勇気がいると思いますが大丈夫です。妥協をやめていきましょう。そして、人生をじぶんのしたい人生につなげてくんです。
ほな、さいなら