期待は人を殺す。だから期待じゃなくて応援しよう
期待はしない、応援をする
ぼくは期待はしないように心がけてます。期待ではなく応援をする。それがぼくのモットーの一つです。
なぜこんな価値観を持つようになったかというと大学受験の時に期待される経験があったからです。そして期待に添えなかった。その後の自分はすごく落ち込みました。今思えばじぶんの思い込みの部分もあったんだと思います。でも、どちらにせよ期待はいいもんじゃないと思ったんです。
期待は人を殺します。
期待はあなたの意思を次第に殺し無くしていきます。そして知らないうちに、あなたは自分の意思を忘れ、期待に応えられなかったとき必要以上に落ち込む。他人に失望させてしまったと。冷静に考えればそんなものは期待した側の責任です。けど自分のせいだと思ってしまいます。そんな風になるのならば、期待などいらないです。
必要なのは期待することじゃなくて応援するってことです。
期待じゃなく応援
じゃあ、期待と応援という形の何がちがうのか。一言で言えば、合格ラインをつくるかつくらないかです。
期待するというのは、その人の活動を階段を上るものとみたとき、数段先で待って「ここまで来い!おまえなら行けるはずだ!」と声かけをするイメージです。
一方で、応援するというのは、その階段を横から一緒に、必要なら後ろからおしてあげるイメージです。
もっと言うと、期待は勝手にその人のイメージを頭の中でつくり、「それに当てはまらなければキミはキミじゃないよ」というスタンスです。本人からすればたまったもんじゃないですよね。「どれもぼくですよ」って感じです。
それに対して応援は、存在自体に価値を置く、「どうなってもおまえだ」という風に。
期待というのはそれほどまでに人の人生に影響を与えます。かなりめんどくさいものです。あたかもその人を肯定するかのように接するんですから。
こうやっていってると冷たい人のように思えるかもしれません。きっと本当に優しい人というのは冷たい人なんです。期待はしない。そのかわり何かあったときや、サポートが必要なときは全力で手伝う。そういう人のことなんです。
あなたは今誰の人生を生きてますか?期待のために生きてないですか?少し立ち止まって考えることも大事だと思います。期待はあなたを焦らせたりもします。少し焦ってしまうなら「期待は少し黙ってろ」って言っときましょうよ。
自分は今期待されてないか。自分は今期待していないか。そこらへんを考えながら生きたいです。
ほな、さいなら