感受性を大事にする

感受性を大事にする

自分で言うのもなんですが、ぼくは感受性が豊かな方だと思ってます。別の言葉で言えば繊細ということです。そりゃ強みですし、弱みにもなるかもしれません。それでも大事にしていきたいと思うのです。

感受性が豊かなのはいいです。それこそ、いい映画で泣いたりもしますが、夕焼けでびっくりするくらい感動できますから。

今日はその感受性に関することで、ぼくの好きな詩を紹介しようと思うんです。

 

好きな詩

その詩は茨木のり子さんの「汲むーY・Yにー」という詩です。それはこんな詩です。

大人になるというのは

すれっからしになるということだと

思い込んでた少女の頃

立居振舞の美しい

発音の正確な

素敵な女の人と会いました

そのひとは私の背のびを見すかしたように

なにげない話に言いました

 

初々しさが大切なの

人に対しても世の中に対しても

人を人と思わなくなったとき

堕落が始まるのね

墜ちてゆくのを隠そうとしても

隠せなかった人を何人も見ました

 

私はどきんとし

そして深く悟りました

 

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな

ぎこちない挨拶 醜く赤くなる

失語症 なめらかでないしぐさ

子供の悪態にさえ傷ついてしまう

頼りない生牡蠣のような感受性

それらを鍛える必要は少しもなかったのだな

老いても先立ての薔薇 柔らかく

外に向かって開かれる野こそ難しい

あらゆる仕事

すべての良い仕事の核には

震える弱いアンテナが隠されている きっと……

わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました

たちかえり

今もときどきその意味を

ひっそり汲むことがあるのです

 

素敵ですよね~。いままでぼくはじぶんのアンテナを隠してきたように思います。そして今も隠すことがある。けどきっとそんな必要はないと思うんです。その感受性がいいところなのだから。

 

だれしも弱く震えてる

ぼくは男なので「くよくよしちゃいけない」とか「どしっとかまえてなければいけない」と思うことがあります。けど、実際にはすべての感情を堂々と出していきたい。喜怒哀楽すべてを。

この詩を読んだとき、そのままでいいんだと思えたのです。しなやかにいればいいのだと。不器用かも知れないけど、不器用なままで生きていく。そうやって平気で生きていこうと思うんです。

あと、「初々しさが大切なの 人に対しても世の中に対しても 人を人と思わなくなったとき 堕落が始まるのね」という一説はぼくもどきんとしました。果たしてできているのかと。忘れているときがあるどころか多いんじゃないかと。しかし、そこで自分を責めようとは思いません。それに気づけた自分を大事にしていこうと思うんです。

 

感受性というのは今の世の中に不足しがちなものです。それを大事に汲み取り、育てていく。そして、堂々とその感受性を出していこうと思います。

 

ほな、さいなら