この世に「すべき」「あるべき」なんてないです。あるのは「したい」「ありたい」だけです。

「こうすべき」とか「こうあるべき」みたいなので動いている人いますよね。けど、ぼくはそれで生きたくないんです。きっとこの世に「こうすべき」とか「こうあるべき」ってものは無いんです。あるのは「こうしたい」と「こうありたい」だけです。もっと言えば、「こうする」と「こうある」だけかなと。

 

そういうぼくももともとは「こうあるべき」や「こうするべき」で生きてる人間でした。しかも周りの人にそれを押しつけてさえいました。けどやっぱりそういう生き方って苦しいんです。「べき」で考える生き方は「そうではない自分は自分ではない」と言ってるようなものです。けど、どれも自分じゃないですか。だからあくまでぼくは「したい」「ありたい」で生きたいんです。

 

なので、「こうしたい」と「こうありたい」で生きろ!とも思いません。好きな生き方を選べば良いです。ぼくは興味ありませんからね。でも、「べき」で生きてる人とはあまり一緒にはいたくないです。「べき」を押しつけてきたりしますからね。そうではなく、「したい」で生きてる人と一緒にいたいです。

 

少し話は大きくなりますが、極論を言えば、ぼくは「生きるべきだ」とも思わない。その人が死にたいのであれば死んでもかまわないと思います。あなたはそれに反対するかも知れません。もしそうならこの記事を見てほしいです

→「もう人生を続けたくない」 104歳の豪科学者がスイスで自死(BBC News) - Yahoo!ニュース

 

世の中は個人にいろんなことを言ってきます。強要するかのように。しかし、その先には幸せなど待っていないです。むしろ自分で考えた先にしか幸せはないです。いまぼくのまわりは「就活」という話題が出てきています。就活に関してもそうです。就活をする先に自分なりの「ありたい」「したい」があるのかどうか?それを考えるところからはじめるのはどうでしょうか?

 

自由になるというのは

自由になるというのは、「こうありたい」と思い、その先で「こうあるべき」に出会い、そして「そうじゃなくてもいい」という風に世界を広げていくことです。ほとんどは自分の思い込みに過ぎない。これを目指すんだったらこうするべきだってのは無いと思います。

 

「ありたい」「したい」というように能動的に主体的に切り開いてく姿勢が自分にとって居心地の良い空間や楽しいものを作り出していくんです。

 

ぼくの好きな言葉に宇宙兄弟シャロン博士の言葉があります。

迷ったときはね、

どっちが正しいかなんて考えちゃダメ

どっちが楽しいか で決めなさい

人生をより楽しくするエンジンは心のワクワクです。そのキーワードが「したい」「ありたい」です。少しずつでいいからワクワクに従っていきましょうよ。きっと楽しいですから。

 

ほな、さいなら