”与える精神”はすごいけど、まずは自分に与えるようにしよう

 

与える精神で生きなさい。

 

そんな言葉をよく聞きます。Give&Give&Giveでいけと。 そしてこの考え方を真に受けるとそんなに与えられていない自分にがっかりしたりする。与えても見返りを求めたりもする。けどここで求められているのは見返りのないGiveで。難しいなぁとなる。

 

”人のために生きる”というのはすばらしいと思います。実際できてる人もいるので、単純にすごいなぁと思うんです。けど、この言葉を意識しすぎると自分が消えていきかねないです。じゃあどうするのって思いますよね。

 

まずは自分に与える

ぼくは”与える精神”というのは順番があると思うんです。それが「まずは自分に与える」ということ。人は持っているものの中からしか与えられないと思っています。それは物的なモノだけじゃなく、精神的なモノもすべてです。信頼、愛、尊敬、優しさそういうものもまず自分が持ってないことには人に配れない。

 

なので、まずは自分の中に自信、自愛、自尊心などを育んでいくことが最初だと思うんです。”与える精神”になれるのはそういったモノを育み、自分が満足し、余裕が出てきたものだけを与えることができれば良いと思うんです。

 

 

 だからぼくの考え方では、「自分に厳しい人は人にも厳しい」ですし、「自分に優しい人は人にも優しい」です。自分にかける言葉と同じような言葉を日常にも使うものです。脳内の声は日常でも使ってる声なんです。マザー・テレサのことばにこういう言葉があります。

 

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

 

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

 

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

 

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

 

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

 

この言葉でも、思考が言葉になると言うことを言っています。そして、この言葉はそれ以上のことを教えてくれます。思考が運命までつながるということです。そして思考は自分の中で完結することだったりします。だからこそ自分にたっぷり与えるんです。けど、育むための最初の種すらないという人もいるかもしれない。

あるモノを育めば他のモノも手に入る

最初の種もない。そういう人は自分の中にあるものを見てほしいです。それをゆっくりじっくり育めばいい。それが育まれていくうちに自分の中になかったモノまで手に入る。ここがおもしろいところで、優しいなと思うところです。神様というものがいるなら神様はかなり優しいんでしょう。そういうシステムを創ったんですから。

 

これは例えば、自信はないけど、自分の中に尊敬できる部分があるとします。例えば、「人が好きだ」とか。そしてそこに注目し、その誇れる部分を大きくしていく。そうしている内に自分は素敵な人間だなとは思えるようになり、自信も育まれると思うんです。これは別に性格とか心の話じゃなくてもいい。今日を生きられるというレベルだっていいし、絵が描けるとか、時間を守れるとか、小さいことでかまわないです。

 

とにかくそこに集中する。そして、自分の素敵な部分に注目している内に思わぬモノが自分の中に芽を出しているのに気づける日がくると思います。

 

まとめ

とにかく言いたいのは、「まず自分に与えよう」ということです。他人に与えるモノなんて、自分の中で余ったモノでいい。きっとみんなそうです。もちろん人に与えることで自分にも与えられるものだってあります。けど、それができない時期だってあるじゃないですか。

 

そんな時期こそたっぷり自分に優しくしましょうよ。自己中なんて当たり前ですよ。自分の人生なんですから。それでも「人のために生きろ」なんて言ってくるんだとしたら、「その言葉が人のためになってないなぁ」とでも思っておけばいいです。

 

たぶん、人は自分からはじめて自分に近しい人へ円を描くようにじわじわと与えられるようになってくと思います。自分に与えていたものが溢れだすように他の人に与えられていくんです。そして、以外と自分が知らないうちに人に与えていたりもするんですよ。だから、まずは自分に優しく、自分に与えるところからはじめましょう。

 

 

ほな、さいなら