「行動しろ」って言葉に押されて「行動」のハードルあげすぎじゃない?

 

今日は「行動をする」ということについて書かせてもらいます。

 

最近の「行動を起こせ」という言葉は”行動”のレベルというかハードルを上げている気がしています。まるで今の自分たちは行動をしていないと責められてるように感じる。そして焦る。

 

具体的に将来の目標を設定して、それにむけた小さな目標を決めて、着実にやっていく。そのために行動を起こさなければいけないと。目標を決めなければいけないと。

 

目標を決めなければいけないから、目標を決めようと、自分の「したいこと」を探そうと、「自分がずっとやってられること」を見つけようと。それが見つからなければ行動できないじゃないかと。けど、実際、”行動”してないんですか?

 

”行動”はみんなしてるよ

ぼくが思うのは”行動”はしてるだろうってことです。いま世の中が「行動をしろ」といってくることは目標のためのこと以外は行動と認めないというようなことに聞こえます。けど、生活してるだけで行動はしてるじゃないですか。朝起きて、ご飯を食べて、洗濯や掃除をして、外に出かけて、、、これらはすべて行動じゃないですか。こういった”行動”をなおざりにしてほしくはないです。大丈夫ですよ。行動はしてます。

 

もう一つある悩みとして、”勇気が出ないから行動ができない”という悩みがあります。ここでも似たような”行動”に関しての仕分けがされている。「勇気を出さなきゃいけないこと」意外は”行動”じゃないという仕分けです。「勇気を出さなきゃ」と悩んで行動ができないなら、それはできなくていいんです。それより”勇気なし”でできる行動を少しずつやっていけば良いじゃないですか。

 

そうやって生活している内に”勇気がいる”瞬間は自然と訪れて、そういうときは以外と勇気を振り絞れたりする。”勇気なし”でできることをやってるうちに前までは”勇気がいる”行動だったものもできてるようになってるかもしれない。そんなものです。

 

将来を考えて焦らなくていい

よく言われていることですが、大切なのは”今”を生きることです。”今”を生きると言うよりは”今だけ”を生きる。ぼくもできてないときはまだまだありますが、これに尽きます。

 

未来のことを考えるのはかまいませんが、例えば、「一年後の自分は大丈夫かな」とあなたが考えてたとき、一年後の自分は果たして”今”(つまり一年後の今日)を楽しんでいてくれるでしょうか?たぶん、その一年後の自分はさらに一年後のことを考えているんです。さて、いつ楽しむんでしょう。今日考えたことはなんのための時間だったんでしょう。やっぱり、今を楽しむしかないですよ。

 

目標を決めるとなるとつい将来のことを考える。けど、将来のことは10秒後のことすら予測できない。どうせできっこないんです。スタート地点は今の自分、今の感情、今の欲求です。それを続けたいなら続ければいい。そのための工夫もすればいい。楽しいじゃないですか。

 

今日の目標は今日だけを生きることです。なので考えるのは「自分が何になりたいか」とか「自分がどうありたいか」というよりもむしろ、「今日なにがしたいか」とか「今日がどんな一日だったらうれしいか」ということです。

 

そんなことを考えている内に今日だけじゃ達成できないなっていう「したいこと」が出てくると思うんです。例えば、旅に出るみたいな。そのときにはじめて目標と道のりが見えるんですよ。人生はそんなことの連続です。

 

未来のことを考えるのはかまいませんが、例えば、「一年後の自分は大丈夫かな」とあなたが考えてたとき、一年後の自分は果たして”今”つまり今から言う一年後の今日を楽しんでいてくれるでしょうか?たぶんその一年後の自分はさらに一年後のことを考えているんです。さて、いつ楽しむんでしょう。今日考えたことはなんのための時間だったんでしょう。やっぱり、今を楽しむしかないですよ。

 

「行動しなきゃ」なんて気張らなくていいですから、心が身体が向かうままに行動していきましょう。それができないなぁと思ったらやらなくてもいいですし、できるようになるように自分を育てていく行動をしたってかまわない。いつもどおり生活しててもかまわない。なので、自分の生活の中にたくさんある”行動”をなおざりにしないで。むしろ、その一日の行動を楽しめばいい。

 

 

 

さぁ、今日をどんな楽しい一日にしましょう?

 

 

 

ほな、さいなら