高らかに宣言する必要は無い。静かにはじめよう。

ツイッターとかで行動をしている人を見るとやばいなって焦ることってよくありますよね。ぼくも漠然とした焦燥感を抱いていた時期があるのでわかります。何かを宣言して行動に移さないといけないと思ってました。今でも思うときはあります。

 

けど、そんな焦りからうまれるものはだいたい長続きしないし、楽しくもないです。理由は簡単で”義務感”で動いているから。「~しなきゃ」で動いている時点で行動の主体は自分ではない別の何かにとられています。そして、そこに主体性などありません。

 

ぼくは、「主体性=したい性」だと思っています。「~したい」で動くことです。これは100%主観なので自然と主体的になります。そして楽しむことができる。この主体性がなければ、続けることは厳しいと思います。では、「~したい」で動くにはどうすれば良いのか。

 

静かにはじめる

静かにはじめれば良いんです。もちろんツイッターに宣言して行動をし始める人もいます。あれはあれで一つの手なんです。自分との約束を破らないために多くの人に知らせることでその言葉と事実を会わせようとする。そういう人間の性質を使った自分の動かし方なんです。

 

けど、それはある程度自分との約束を果たすことができていて、自信がついてからやり始めるのがいいと思います。なぜかというと人に宣言した瞬間、そこには一種の”義務感”が生じてしまうからです。いままで自分との約束を果たせてきた人(=自信がある人)だったら多少の義務感につぶされることなく「したい性」を保ったまま動くことができるでしょう。でも、三日坊主が多い人(=自信がない人)は”義務感”に足を取られ、自分の本来の目的ごと失いかねません。

 

そこで、そういう自信がない人、三日坊主が多い人は誰にも言わず静かにやってみるのがいいと思うんです。

 

そうすることでトライアンドエラーを繰り返すことがしやすくなり、成長が加速すると思います。これは自分のやりたいことを探す時にも有効に使えると思うんです。正直人間に一貫性を求めるのはなかなか難しいことじゃないかと思っています。諸行無常というように常に変化していく物ですし、そう考えると人に宣言してやるというのは試行錯誤を繰り返したい時期にはリスクが大きいと言えるわけです。

 

ならば、静かにはじめて、やめたくなったら静かにやめればいいんです。ぼくはけっこうこれをやっています。例えば朝学校に行く前にゴミ拾いをしてみたり、はてなブログで描く前にワードプレスのほうでブログを書いたりもしていました。(サーバー代払えなくてつぶしちゃったんですけどねw)

 

そんな風に人に知らせないくらいではじめてみるのもいいと思います。そうやって実際にやってみる。それが大事なんです。そうしているうちに自分にあうものが見つかったりすると思います。その時はじめて人に言ってみればいいと思うんです。

 

自分に合う物が見つかった、続けられる物が増えた、そういう感覚は自信につながります。確実な事実として自分の中に築きあげられます。そうしてるうちに行動できる幅が広がるんです。

 

この前質の良い行動力のために「ノリではじめて真剣にやる」ということを書きました。それに加えて静かにはじめてみてください。なにをやるにも初速が大事なんです。初速が遅くなってしまうのなら、人に知らせなくてもいいです。それで主体が客体に変わってしまうのなら。

think-bigger.hatenablog.com

 

 

自分の行動の話ですから人に責任をとる必要なんか無いんです。できたら喜び、できなかったら一人で悔やんで次につなげれば良い。ただ、決して自分を責めないでほしいです。自己否定は意思力をそぎますから。では、今日も静かに小さくはじめましょう。

 

 

ほな、さいなら