あなたのためなんてものはない。自分のためだけに動く。

ぼくは人のために何かをすると言うことは無いと思っています。厳密に言うと、帰着点は必ず自分ということで、人のために何かをしたとしてもそれで喜ぶ自分のためだと思うんです。

 

自分のためというと自己中心的というかもしれませんが、そのとおりです。人はみんな自己中心的だと思います。それでいいんですよ。じぶんのしたいことをすれば良い。

 

あなたのためなんてない

ぼくは基本的にまずじぶんを充たすことからはじめます。そうじゃないと人に与えることなんてできません。けどぼくが今日言いたいのはじぶんが充たされた後の話です。人に与えるという部分です。ぼくはこの人に何かを与えるときも「あなたのために」なんて言いたくないんです。こんなに邪魔な言葉はありません。

think-bigger.hatenablog.com

 

 

人に何かを与えるのも自分の中に楽しみがあるからだと思うんです。投資だってその一つです。与えるときはだいたいじぶんも充たされているんです。自己肯定感が上がるとかいろんな形で。だからじぶんが充たされないなら与えなくていいですよ。無理しなくてい。

 

ぼくはじぶんの行為が人のためになるかなんてわかりません。あくまで予測です。そして「ためになる」のは結果論です。ということはじぶんの行為が相手にとって邪魔だったということもおおいにあり得るわけです。

 

その行為がその人にとって邪魔なことだったときそれを「あなたのために」なんて言われたらめちゃくちゃ困るわけです。だってためになってないんですから。愛情という言葉を使われると困るんです。

 

そして、もうひとつ思うのは、行動した側は 「人のため」という言葉を使っている時点で自分の我慢を正当化しているってことです。そうやって理由付けしてやらないと自分を納得させられないんです。そうなってくるとここに得している人はいないわけです。だからこそまずはじぶんを充たす。愛情というのはそうすることでじぶんも充たされる物だと思います。

 

自分のためにやる

自分がそうしたいからそうするというのが大事だと思うんです。行動の帰着点は必ず自分に置く。そうすることでより自分を好きになることもできるんじゃないかなと思うんです。もし、相手のためにという言葉を使わざる終えなくなったら、「じぶん頑張ってたんだなぁー」って思っておいてください。責めることではないですから。

 

アドラーは「自分のため」と「自分たちのため」しか無いと言っています。ぼくもそう思います。自分を含めた誰かという形で増やしていく。あくまで自分の行動は他人事ではなく、自分も影響を受けたりするから大切にするんです。

 

自分のために何かをするということが自分を大切にするってことです。自己中でいいじゃないですか。ぼくは特に自分のためじゃないと生きていけないタイプなので、なおさら思うんですけどね。

 

 

 ほな、さいなら