フィルターのかかった願いを伝えてみる。

久しぶりの投稿ですね。

 

いまぼくは「Meeeラボ」という自己理解のコミュニティに入ってます。

「Meeeラボ」についてはこちらから↓

自己理解をアタリマエにするコミュニティ #Meeeラボ | 自分コンパス

 

自己理解を進むにつれ、自分が感じることが多くなった「探している物」が出てきたので今日はそのことについて書こうと思います。

 

探している物

最近自己理解をする中でひしひしと感じるようになった探している物があります。それが「自分のすべてを受け入れてくれる環境・人」です。

 

正直、こんなことを書くのは恥ずかしいです。「自分のすべてを受け入れてよ!!」なんておこがましい。わがままだ。そう思ってしまう。でも確実にこの想いがあるわけです。確実にあるこの想いを殺してしまうのはすごく悲しいことだと思うんです。むしろ、この想いを純粋に伝えたい。そういう葛藤ごと書いてしまおうと思うわけです。

 

「自分のことを自分で受けいれる」ということだけが正しいわけじゃない

この社会に流れている「自分で自分のことを受け入れろ」という考え、確かにもっともだとは思います。でも同時にこの考えはそうなれない自分を苦しめていました。ぼくは「周りに自分が認められているな。受け入れられているな。」と感じてはじめて自分を出せるタイプです。

 

これを感じてるときと感じてないときではぼくの態度は180度ちがう。本来の自分は自分のことを話すのが好きで自分を知ってほしい。そうやって周りを楽しませて、自分も楽しみたい。それをモットーに生きています。でもここ最近はこの存在がなくすごく自分が苦しんだんです。

 

「自分のすべてを受け入れてくれる環境・人」がほしいという想いを持ってるのは個人的にすごく恥ずかしいんですよ。「重い人間だな。」と思われないだろうか、そこらへんを気にしてしまうほど繊細な人間でもあるので。

 

自分の想いの存在くらい認めてあげよう

でも人間はどこかでこういうものを探していると思うんです。そしてこんなことを言うと「みんなそうなんだよ」という言葉でかたづけたくなる。でもそんな言葉で片付けてしまったら、なおさら辛くなる。「みんなそうなんだよ」という言葉がまるで「おまえもその想いを我慢しろ」と言ってるようで。

 

だからこそこの想いを声高らかに伝えたいわけです。もしあなたもそう思ってるならそう伝えてみてほしい。そこまでいかなくてもその想いがしっかりあることを認めてしまえと。その想いは決して恥ずかしい物じゃない。ぼくからすればその想いを持ってるのは当たり前だから。だからあまりその想いを否定しないでほしい。

 

この想いは決してイエスマンを周りに置きたいというわけではない。いや、実際イエスマンを周りに置きたいのかもしれない。それでもいいじゃないですか。おいてみればいい。それすら獲得しないで自分がどうなるかなんてわからないですよ。

 

ストレングス・ファインダーを通して見る

さて、ここまで長々と自分の想いを書いてきたわけですが、この想いをもう少しわかりやすくして話します。ここからはぼくの好きなストレングス・ファインダーの話を中心にこの想いを話しますね。

 

ぼくのこの想いと強くつながっているのは【自我】という資質です。この資質には長年苦しんでいました。今も少し苦しんでるのかもしれません。

 

【自我】という資質は”自己重要感”です。他人にとって自分が優秀な人物だとみられたい。この資質はものすごいエネルギー量を持っています。上へ向かおうとするエネルギーです。

 

その一方でびっくりするくらい繊細な資質でもあります。驚くほど周りを気にしてしまう。あまり言い訳にしたくないですけど、この事実は認めておく必要があります。認められるから次に進めるんです。

 

決して自分勝手というわけじゃない

ここまで書くと、【自我】は自分勝手なんじゃないかと思われるかもしれない。そして、「自分のすべてを受け入れてくれる環境・人」がほしいという願いも自己中心的に動きたいだけなんじゃないかと。

 

でもそんなことは全くないんです。【自我】が感じたいのは自己重要感、つまり、「あなたにとって私が重要だ」と思われたいんです。そしたら行動は他人を思いやった行動だってとるんですよ。決して自分勝手になりたいわけじゃない。むしろ、人に賞賛、感謝されることでじぶんを充たしたいんですから、人の役に立ちたいって想いは強いんですよ。

 

「自分のすべてを受け入れてくれる環境・人」っていうのも自分の力を人の役に立たせて影響を与えたいから必要なんです。決して自分勝手ではない。そんなに責める必要ないですよ。

 

最後に

【自我】という資質を温める。それがまずは大事だと思っています。だから「自分のすべてを受け入れてくれる環境・人」をさがすことをやめないでほしい。必ずそういう場所や人はいますから。なんとなくですけどね。

 

【自我】持ちの人にかぎらず、こういう想いを持っている人を最低でもぼくは好きです。だから自分のほしいと思ったものは声高らかに伝えていきましょう。それはとても勇気のいることです。でも焦らなくていいです。じっくりその思いを向き合ってみて、「素直になれたな」って思ったら伝えてみる。無理なら無理でけっこう。それが普通だと思っておけばいい。

 

大丈夫ですよ。望んでるんだから、手に入る。「無責任に大丈夫とか言うな」っておもったならそれでけっこう。生きやすい方を選んでください。「自分のすべてを受け入れてくれる環境・人」を探しましょう。一緒に。

 

 

 

ほな、さいなら