”自分らしさ”を見つけるのに辛くっているあなたに言いたいことがある。

あなたは「”自分らしさ”ってなんだ?」って悩んでないですか。もしそうなら少し読んでもらいたいです。

 

”自分らしさ”という言葉がありますが、ぼくはこんなもの無いと思っています。というのは、自分らしさがないというか、全部自分だよねって思うんです。今の自分を認められなくて、もっと自分らしく生きたいという人がいますが、たぶんそう考えるから辛いんです。

 

もし自分が今望んだ状態じゃないとして、それを「こんなの自分じゃない!」って言うのは悲しいじゃないですか。今の自分を認めてあげてください。その上で「こう生きたい」という生き方があるのはいいと思います。でも”自分らしさ”なんてものを決めてしまうと生きづらくなるだけです。まるで”自分らしい”部分以外は自分じゃないって言ってるようなものじゃないですか。

 

それより、今の自分も自分、ありたい自分も自分、こんな部分も自分って感じでいた方がいいです。その方が、自分が柔軟に変化しやすいんですよ。例えば、自分がありたい自分になれたとして、その上で「少し違うな」と思った時、自分らしさなんてない方が簡単に方向転換できるじゃないですか。

 

積み減らしていく

”自分らしさ”をもたないというのはぼくの好きな積み減らしのひとつだと思っています。まずは「”自分らしさ”というものがある」という価値観から積み減らす。そんなものはないのだと言うことに気づく。まずは、そこからです。

 

そうやって、自分の価値観をどんどん積み減らし、新しい価値観も受け入れていく。「自分は人見知りだと思っていたけど、しゃべってみれば以外と話を続けられるんだな」とかそういった新しい自分を発見していく。

 

思い返してみてください。あなたがこれまで生きてきて、あなたはずっと同じキャラで人と接していましたか?もしそうならぐうの音も出ないですし、その生き方が好きなんだと思うのでそれでいいと思うんです。でも、違ったりしてないですか?

 

”自分”というのはそれほどに多様性を持っているものだと思うんです。なので、人が「おまえらしくないな」と言うのも気にしなくていいと思います。そういうときは「あなたが思っている以上にぼくは豊かなんだよ。」って思っといてください。そして実際そうです。

 

自分の負の側面だってあると思うんです。これを受け入れるとなると大変だとは思います。けど同時に愛おしくも思えると思うんです。あなたのその弱みだと思ってる部分は客観視すればチャームポイントです。めんどくさいと思うところは愛せるところですよ。

 

最後に

話をもどして、”自分らしさ”なんて無いということですが、”自分らしさ”はない方が自由に生きられます。ここまでが自分だと思ってた範囲が広がるんですからね。そして自分の多様性を楽しむことが人生を楽しむ一つの秘訣だと思います。

 

こんな考えかたをしてるぼくなんでレッテル貼りはとても嫌いです。人にはいろんな側面がありますから。むしろそれがだせないグループの方が悲しいですよ。自分のどんな側面だって気軽に出せる場でありたいじゃないですか。

 

結論としては、”自分らしさ”なんてな方が今日も自分は自分だって思えるんです。悲観しないですむんです。自分のどんな側面でも今日も自分は自分だって思える。意外な一面も「こんな風になることがあるのか」という発見の目で見られる。だから自分なんて探さなくていいです。全部自分です。探さなくても自分は毎秒更新されていっています。今この瞬間のあなたがあなたです。

 

”自分らしさ”を探すあまり自分に押しつぶされないでください。もちょっとゆったり生きましょう。

 

 

ほな、さいなら

ミニマリストはゴールじゃない。むしろスタートだ。

ここ最近ミニマリズムに凝ってます。けどミニマリズムがわからない人も多いと思うんですよね。あなたもそうですか?ってことで今回はミニマリズムとはどういうことかを少し話そうと思います。

 

ミニマリズムとは

ミニマリズムとは、「協調したい一点のために他をそぎ落とす」というものです。つまり、何でもかんでも捨てちゃおう!ってわけではないんです。そうではなく、「自分はこれをすることに集中したいから他の邪魔な物はなくしていこう」という考え方なんです。

 

ミニマリズムをすると自分にとって大事な物がわかりますし、自分の生きたい生き方を最大化させる生き方ができます。しかし、時にまちがってミニマリズムを理解している人がいます。

 

さっき説明したように、ミニマリズムはあくまで手段です。目的じゃありません。しかし、目的にしてしまっている人がいます。物が少ない方がいいとか、もう何もいらないとすら思っている人がいる。けどそれじゃ何も得られない。目的はあくまで「じぶんのしたい生活を取り戻す」とか「めんどくさいことの最小化」とか、「やりたいことの最大化」です。ここは人によっていろいろあると思います。しかし、「物を減らすこと」は決して目的じゃありません。そこだけを注意してほしいです。

 

90点ルールで生きる

ミニマリズムとは簡単に言えば、90点以上の物だけを自分の周りに置いておくということです。それ以外はおかない。それがミニマリズムです。そのためには基準が必要です。そしてこの考え方は物だけじゃなくいろんな物に使えます。これは前紹介した『エッセンシャル思考』の考えです。そうです。ミニマリズムで生きることは、エッセンシャル思考を生きることなんです。

 

think-bigger.hatenablog.com

 

ミニマリズムはゴールではなくスタートである

そしてこんな風に言うと「ミニマリストになるぞ」と思ってくれるかも知れません。そおれはとてもうれしいことなんですが、ミニマリストは決してゴールじゃありません。むしろスタートです。何かやりたいことがあり、それに集中するためにまずはミニマリストになる。ミニマリストという生き方自体が手段なんです。

 

ベースにミニマリストがあるだけです。実際ミニマリストとしていろいろ発信している人がいますが、そうやって発信している人以上にミニマリストはいます。例えば、メンタリストのDaigoさんやスティーブ・ジョブズマーク・ザッカーバーグミニマリストと言えます。スティーブ・ジョブズマーク・ザッカーバーグが服を一種類しか持っていないことは有名です。

 

このようにミニマリストは自分がしたいことに集中するためのスタートです。ぼくも絵に集中したいので、はやく物を手放したいんです。ちなみに今のぼくは手放したい物が多すぎて対応に困っている感じです。あなたもミニマリズムをとおしてちょっとずつ自分を思い出すのもアリかも知れません。

 

 

ほな、さいなら

友達の友達の友達と話してみることが自分を広げることにつながる。

この前こんな記事を読んで、「あぁ、これが縁を大切にする生き方につながるかもなって思ったんです。

「群れずに群れたい」を実現するためにはどうすればいいのか? | 隠居系男子

 

それぞれが自分で考えることを放棄しない限り、ぼくは群れずにいられると思っています。

どれだけ他者と群れようとも、他者に自己の意思決定権を手渡さない限りは、群れずにいられる。

 

(中略)

 

「群れずに群れたい」を実現し、本当の仲間と巡り会えるようになる。

 

この記事には、「自己の意思決定権を手渡さない限り、群れずにいられる」と書かれています。群れずにいることは一見縁を大切にしない生き方のように見えますが、ぼくは逆だと思っています。ここで言う「群れずにいる」というのは、意見で群れないと言うことだと思っています。自分軸をしっかり持つ。

 

けど、群れてはいたい。人とはつながっていたい。ここが縁を大切にするってことなんだと思っているんです。縁を大切にする上では他にも大事なポイントがあるんだと思います。でも、最初は、「自己の意思決定権を手渡さない」ってことからだと思うんです。

 

さて、なぜこれが縁を大事にする生き方につながると思ったかというと、この前大学の心理学の授業で『Why 30 is not the new 20』という動画を見たんです。

www.youtube.com

この動画ではこんなことが言われています。

20代の人が同じ考えの人とだけつるんでいると

友人の知っていることや知っている人

友人の考え方や話し方 友人が勤務する場所などが

限られた範囲になってしまいます。

 

新しく自分の資本になるものや新しい交際相手は必ずと言っていい程

内輪のサークルの外にいます。

 

新たな物事は友人の友人の友人のような

いわゆるゆるいつながりからやってきます。

 

ここで「ウィークタイ(=ゆるいつながり)」といわれているものがぼくは人が縁と呼ぶものだと思っています。そして、このウィークタイを意識して生活するというのが縁を大切にする生き方だと思うんです。

 

コンフォートゾーンの外側を重視する。

コンフォートゾーンの外側へ行くということもよく変化を起こすために大事だと言われています。コンフォートゾーンというのは自分にとって心地の良い空間・場所のことです。まさに動画の中で言われてた「限られた範囲」の中の話です。

 

ぼくは無理にコンフォートゾーンの外側に行けとは言いません。もちろんそれは大事ですし、ぼく自身はそこでの出会いなどを楽しみたいと思うところもあるので、重視したいと思っています。しかし、無理をするのは良くない。ぼくがまず言いたいのは、コンフォートゾーンの外に出るために、まずは自分を知るということをしてほしいってことなんです。

 

コンフォートゾーンの外に出るための自分軸 

「群れずに群れたい」という話もここにつながってきます。「群れずに群れる」というのは自分軸を持つことで、距離感を図り、それでいて心地のいい距離感を保ちながら人とつながるということです。

 

自分=スタート地点です。ここがわかっていなければ、群れずに群れることはできません。そしてそれは同時に縁を大切にできないということでもあります。自分の価値観や考えがあってこそ、ほかの価値観や考えに触れる意味が増すんです。

 

もし自分軸を持たないままコンフォートゾーンの外側に出るならば、それは苦痛でしかないでしょう。自分を失いかねない。相手色に染まり切ってしまうかもしれません。そしてそれは、もはや縁とは言い難いものになってしまいます。

 

外向的な人のほうが得なの?

コンフォートゾーンの外側とか、縁を大事にするという話になるとどうしても外向的な人のほうが得なのか?というところに疑問が出てくると思います。結論から言うとぼくは内向的、外向的というところにどっちが得かという話はないと思います。

 

要はどちら側を重視するかです。内向的な人は自分軸をしっかり持ちやすい、なので距離のとりかたはうまいと思います。外向的な人は縁でできたつながりを大事にするのがうまい。しかし、どちらも大事なんです。

 

内向的な人は自分から行かなくてもいいと思います。そうじゃなくて、たまたま価値観のまったく違う人に会ったときにそれを受け入れたり興味を持つことができればいいと思うんです。

 

逆に外向的な人は、たくさんの人に会う中で自分の価値観を作り上げていく、人の意見や考え方を丸呑みするのではなく、自分はどう思うか、好きか嫌いかを大事にする。それがいいと思うんです。

 

最後に

どちらにせよまずは自分を知るところからです。自分がどういう考えなのか、自分は何が好きで何が嫌いなのか。それを知っていることが外側へ向かうことへの恐怖心をなくし、新たな出会いを歓迎する態度をつくると思います。

 

 そして自分を知るためには自分の頭の中で考えているだけではいまいちはっきりしないと思います。アウトプットをするんです。そのためにもブログとかツイッターなどのSNSを活用することが大事なんです。

think-bigger.hatenablog.com

 

 自己発信は自分のためにやるんです。自分を客観視するために。自分のできる範囲で小さく始める。それが次第にできることを広げ、余裕を広げてくれます。そしたら知らないうちに縁を大切に人と関われるようになれると思うです。最後に僕の好きな『宇宙兄弟』のブライアン・ジェイの言葉を。

人の人生にはいくつもの”夢のドア”がある
人は…例えば「宇宙へ行く」みたいな大きな夢を持ったと時
目の前に現れたバカでかいドアに畏縮して
向こう側へ行くことを諦めちまう
「開けられるわけがない」────ってな
だがビビることはないんだよ

本当ははじめから─────
そんな”バカでかいドア”なんてものはない

小さなドアがいっぱいあるだけだ
”成長のドア” ”発見のドア” ”勝利のドア” ”賞賛のドア”
他にもいろいろ見つかるだろう
そしてその小さなドアを開けるたび
君らの夢がひとつずつ叶っていくのがわかるはずだ

君らにはそのためにやるべきことがある
手探りでも何でもいい
意地でも次のドアに手を伸ばし続けることだ

そんなことしてる間に────
気づいたら宇宙遊泳とかしてるかもよ?

 

                -ブライアン・ジェイー

 

 

ほな、さいなら

やりたいこととか変えたいもののために何かをしようとしてるあなた。まずは健康に投資してください。

あなたはなににお金を使ってますか?

 

お金の使い方というのはとても難しいです。稼ぐより難しい。どこにどう使うかで自分がどう生きるかが決まってきます。あなたは何にお金を使っているか把握していますか?ぼくはまだ完璧に把握できていないです。これもミニマリズムで少しずつ把握していこうと思います。

 

お金の使い方の話に戻りますが、何かを変えようとか何かをしようと思ったときそこにお金をかけるのはとてもいいと思います。では、漠然と何かを変えよう、何かをしようと思っているときはどうすれば良いでしょう。何からはじめればいいんでしょうか。ぼくならこう言います。健康からはじめようと。

 

まずは健康に投資する

まずは健康に対して投資する。具体的に挙げるなら、睡眠、食事、運動の分野です。睡眠ならいい睡眠をとる方法を調べる。食事もそう。どんな栄養がいいのかと言うことを調べたり、少し高くても健康のためならおしまない。これが健康に投資するということです。

 

なぜぼくがここまで健康を重視するかというと、「身体は資本」だからです。これだけ聞くと、自分の身体でしか動けないんだから当たり前だと思うでしょう。まずここで聞きたいのですが、あなたはその当たり前ができていますか?そして、たぶんあなたが思っている以上に身体を第一に考えなければすべてのスタートは切れないと思います。

 

身体というのは脳や心の話でもあるんです。ぼくは前こんなツイートをしました。

 

このツイートの通り、「身体=心」なわけです。身体が不調だと心も不調です。脳ももちろん不調で考える力は弱くなりますし、自分の感情にもモヤがかかります。こんな状態なので「やりたいこと」や「変えたい部分」がわからないのも当然なんです。

 

そこで、健康に初期投資をするという話に戻ってくるわけです。健康に初期投資することで自分が整います。感情もわかりますし、変に不安を抱えることもなくなるわけです。睡眠・食事・運動の質が高ければ、たいていのことは気持ちよくできるんです。「なんで今ぼくは何もできないんだ。どうすれば良いんだ。」と思ってる時は生活のどこかに原因があります。

 

では、具体的にどう変えていけば良いのかですよね。ぼくがおすすめするのはやっぱり「断食」です。脳と腸が相関関係にあるのは知られています。腸は第二の脳というわけです。ここら辺の話も下の記事で書いています。是非読んでみてください。

think-bigger.hatenablog.com

 

健康に初期投資をするというのがぼくの伝えたいことです。ここから始まるんです。自分が荒れている状態のまま何かをはじめることはできません。できたとしてもすぐに壊れてしまいます。気になるのは、荒れていることに気づかない人が居ることです。少しでも思い当たる節があるのなら目を背けずに向き合ってほしいです。今日は抽象的な話になってしまいましたかね。

 

 

ほな、さいなら

忘れ物多くない?なら、ミニマリストの考え方を取り入れよう

あなたは「モノなくしやすいんだよなぁ」とか「忘れ物多いんだよな」ってことがありませんか?

 

ぼくは忘れ物が多いです。他の人より確実に多いです。正確に言うと多かったんです。今もすることはありますが、その頻度も確実に減っています。では、なぜ忘れ物が減ったのでしょうか。

 

忘れ物が多い原因は注意力が足りないから?

忘れ物が多い人が言われる言葉として、「注意力が足りないんだ」ということがあります。本当にそうなのでしょうか。本当の原因はそこでしょうか。もしそうだとすれば、すぐに直せるものではないと言うことになります。

 

ぼくは原因は別の所にあると思います。ぼくが思う原因は”物の持ちすぎ”です。出かけるときだけではなく、家の中自体に物が多い。これが忘れ物が多い原因だと思うんです。

 

例えば、出かけるときにリュックに必要な物をいれる、けど必要な(だと思ってる)物が多すぎて、忘れ物が出るということです。自分の家の中の状態を把握できていないから忘れ物が出てくる。外で忘れ物をするときもそうです。鞄の中を把握していないから忘れ物が出てくる。

 

しかし、ここで問題なのは把握できる能力がないことではありません。自分の把握できる範囲以上に物を持っていることです。大事なのは自分の管理できる範囲のなかで物を持つということです。

 

ミニマリストのすすめ

今、世の中にはミニマリストという生き方があります。これは、自分にとって必要な物だけで満足し、それ以外の物を排除していくという必要最低限で生きていくという生き方です。これだけ聞くと、なんてストイックなんだと思うかも知れませんが、むしろ逆で、ミニマリストの人たちはそれで幸せに生きているんです。かく言うぼくは、まだミニマリストとは言い切れませんが、ミニマリストに移行していっています。

 

なぜここでミニマリストの話をするかというと、ミニマリストな生き方が結果として忘れ物もなくすからです。自分の家のどこに何があるか把握できる状態。こうなれば物を忘れるなんてことは無くなります。忘れ物が多い人は注意力が足りないのではないんです。むしろ普通の人よりはあると思います。ただそれ以上に注意力を散漫させてしまうほどに物が多すぎる。そこが問題なんです。

 

ミニマリストとして生きていく方法はいろんなブログや本に書かれてます。ぼくがおすすめするのはしぶさんのブログや佐々木典士さんのブログです。この二人は本も出しています。とても面白いので是非読んで見てください。

ミニマリストしぶのブログ

佐々木典士/Sasaki Fumioの書いた記事 | Minimal&ism

 

手ぶらで生きる。見栄と財布を捨てて、自由になる50の方法

手ぶらで生きる。見栄と財布を捨てて、自由になる50の方法

 

 

 

靴を磨く人は成功する

「夢をかなえる象」という本の中に成功する人の特徴の一つとして「靴を磨く」という項目があります。これだけ見ると靴を磨いておけば成功できると言っているように見えます。(ぼくは一時期そう思ってましたw)たしかにその側面はあると思います。やはりくつがきれいな人はしっかりした人に見えますからね。

 

夢をかなえるゾウ文庫版

夢をかなえるゾウ文庫版

 

 

しかし、実際やってみるとわかるのですが、なかなか続かない。それに定義がおかしいんです。「靴を磨けば成功する」。この方程式はかなりおかしいですよね。そこで考えた結果、一つの仮説できたのです。

 

それが、「靴を磨く人=ミニマリスト」という仮説です。全員ではないかも知れませんが、少しぼくの考えを聞いてほしいです。

 

まず、靴を磨いているということはそれだけの時間の余裕があると言うことです。つまり、やることが明確になっている。このやることが明確になっているというのはやらないことが明確になっているということでもあります。

 

そして、やらないことが明確になっているのは「物が少ないから」じゃないかと思うんです。物が多いとやはり、いろんな選択肢ができるわけです。そして最悪のパターンだと「あれもやらなきゃこれもやらなきゃ」という考えだけでいっぱいいっぱいになってしまい。最後にはやる気ごとそがれます。学習性無力感というものです。

 

しかし、物が少ないとやることも限られてきます。管理の目がすべてに届いているので、手入れも簡単です。やりたいことも明確になる。そしてなにより、ミニマリスト、つまり物が少ない人は自分にとって大事な物がわかっている人です。同時にそれに感謝を抱いている人でもあります。

 

今出てきたことを並べるとこうなります。

  • 物が少ない=決断力が少なくていいように生活をデザインしている=ムダなことに決断力をつかわなくていい
  • 物とやることの管理がしやすい=やりたいことやるべきことをすべて把握している
  • 自分にとって大事な物がわかっている=自分の核がしっかりしている
  • 物に感謝している=いろんな物に感謝できる

このように自分軸がしっかりしているため、周りから見ると「成功している」という風に見えるのです。そして当の本人はと言うと、成功にはあまり興味は無く、見栄もなく、幸せに暮らしているという感じです。

 

靴を磨く人が成功するというのはさっきあげたからくりに沿って自然とできあがった物だと思います。代表としてくつを取り上げたと言うことです。

 

最後に

話はそれてしまいましたが、通ずるところは同じです。物を減らすことで物を大事に扱うことができ、持っていることを忘れていたと言う物はなくなります。それは同時に忘れる物がなくなると言うことにもつながるわけです。

 

今回は「忘れ物が多い」という観点からミニマリストの考え方を紹介しましたが、ミニマリストはいいことだらけです。少し生活に取り入れてみるのもいいと思います。そして、ミニマリストになるというのは序章に過ぎないと言うことでもあります。ミニマリストになることで自分の大事な物が見え、人生をより豊かにするための方向性が見えてくるのです。

 

 

 

ほな、さいなら 

アーティストとして自分が目指すところ

先日、画家の小松美和さんのライブペインティングを目の前で見たんです。もちろん絵は素晴らしく、というか前に立つと清々しくなると言った方がいいんですけど。実際にあなたにも見てもらいたいんですが、一貫して夢中になっていたという感じですね。

 

小松美羽さんの絵は前々から目指したい部分が多く、小松美羽さんになりたいとは思いませんが、描く姿勢とかアートへの概念は影響されてるところがあります。

 

そしてはじめて小松美羽さんが絵を描いている所を見ていろいろ思ったことがあります。それは、目指したい状態を見つけたってことです。それがどういう状態かを自分も忘れたくないのでここに書いていきます。

 

自分を空っぽにする。

ぼくがずっと感じていたのが、自分を絵のために空っぽにするってことです小松美羽さんは描く前に瞑想をするんですが、そのときから徐々に自分を空洞化させてるイメージがあるんです。どういうことかというと、創造されたものを表現するために自分を手段にしているんです。小松美羽さんの場合は神獣を描くことが多いからかも知れませんが、創造力とキャンバスをつなげるための管として自分を使っている感じがするんです。筆で描くのではなく、手で描くのでもなく、全身で描く。創造されたものをキャンバス上に降ろすために自分を使ってる感覚があるんです。

 

なので、全身でキャンバスにぶつかって描いています。見えるのはイメージとキャンバスのみで他の一切を排除し、集中しているんです。周りに色が飛び散ろうが、自分が絵の具まみれになろうが関係ない。どんなに周りがうるさかろうが関係ない。そんな感じを受けるんです。

 

自分は創造性というものとキャンバスをつなぐ管にすぎないかのようにそこで絵を描きます。それは、決してそこに人格がないというわけではなく、むしろ本人はそこに幸せを感じているように無我夢中で描いているんです。たぶん、描いているときは幸せとは思ってないでしょう。そんなこと思う刹那もなく、フロー状態にいるんです。

 

自分の目指すところ

この創造性のために自分全体を使うというのがぼくのたどり着きたいところです。ぼくは”絵は生き方”だと思っています。創造するということはそういうことです。生き方がもろに反映されます。そこに一切の嘘はつけません。たとえどうにか繕おうとしても超えることはないんです。だからこそ、あそこまでいけるすごさを実感しているんです。

 

正直、自分の目指すところが観れたうれしさと自分がそこにいけていないことを感じた悔しさがありました。僕もそこの領域まで行きたい。決して小松美和になりたいとは思わないですが、その喜びを感じたいんです。そしてそこには僕の表現の仕方でいこうと思います。

 

人の奥の奥底に届く。何かわからないかもしれないけど届かせる。そんな絵を描きたいんです。バカで構わない。ダサくて構わない。恥ずかしがり屋で構わない。下手で構わない。気持ち悪くて構わない。ただ、伝える。それだけに集中させたいんです。

 

ぼくが目指すところは、胸を突き刺し、何か違和感や刺激を与えつつ、同時に優しさを感じるような絵です。まだまだですが、いけると思っています。下手でも伝えていこうと思います。宣言みたいな記事になってしまいましたね。ここまで読んでいただきありがとうございます。

 

 

ほな、さいなら

ノリで始めて真剣にやる。

この前「断食」したんですよ。どれだけ引っ張るんだって感じかもしれませんが、今日はそれを友達にしたときに気づいたことを少し話そうと思います。

 

最近は「断食」したときのことを友達によく話すんですけど、その中で「断食」をするきっかけの話もするんですよ。けど、きっかけは何って聞かれてもたいした理由なんか無くて、ただのノリみたいなところがあるんですよ。もちろんワクワクしたからしたんですけど、そのワクワクも結局はノリじゃないですか。友達が「断食やってみたくない?」って言ったから、二つ返事で「いいねぇ」って答えて始まったんです。

 

でも、「断食」自体は真剣にやったわけです。ちゃんと調べて、ひとつずつ丁寧にやっていきました。やる理由も後からついてきましたし、そんなことはどうでもよかった。最初にあったのは「とにかくやってみよう」という気持ちだけでした。

 

ノリで始めて真剣にやる

あくまでノリで始める。失敗とか成功とかは興味なく始める。けどやるからにはちゃんとしたいので真剣にやる。これがフットワークを軽くする上で良いのかなと思うんです。質の良い行動力をつくる上で大事なんじゃないかと思うんです。結果にこだわるのはもちろん大事ですが、それは過程に入った後の話で、何かを始める前は結果なんてどうでも良い。

 

「成功するぞ」とか「よりよくなるぞ」とガチガチに力を入れてやると長続きしないし、過程を楽しめない。結果のためにやるんじゃなくて過程のためにやる。その感覚で始めることが大事なのかなと。

 

過程にさえのってしまえば、あとは結果にむけて楽しみ始めるので、結果は後からついてくる。結果すら過程の一つとして楽しむことができるんです。結果を気にするのはし始めた後のことですし、フットワークが重い人はとくに軽い気持ちで始めれば良いと思うんです。「こんな結果が出ないといけない」ってことは期待せずに、「こんな結果が出れば良いなぁ。でも出なくてもそれはそれで一つの実験結果だな。」って感じで受け止めれば良いんです。

 

失敗しないようにとか目的はなにかとかを重視しがちな世の中ですが、実際そんな大それたものいらないんです。もちろん目的を持つこと自体は大事ですよ。でも、最初はいらない。そんなところまで想像を飛ばさなくても、周りの人が気づかない暗く小さく始めたっていいんですよ。

 

見栄があるとかプライドが高いとかが理由で動けないって悩んでる人もいると思いますが、それすらも気にしなくていいです。ただやってみたいからやるんです。そしたら周りもなにも文句言いませんよ。なんでやるのとか面白がったりはするかもしれませんが、「やってみたいからやってる」って言われたらしかたないじゃないですか。

 

やってみて、やり始めたらしっかりやるんです。どうせやるなら効果が出た方がいいじゃないですか。興味から始めて実験をする。けど実験は計画練ったりして順序を追ってやらないと出た効果や結果が正しいかどうかすらわからないですよね。だから真剣にやるんです。真剣に楽しむんです。ワクワクを大事にするために真剣にやるんです。

 

最後に

周りからすればムダなことがその人にとっては大事だったり、自分からしてもムダなことをやるって大事だと思っています。この記事でも言ったと思うんですけど。

think-bigger.hatenablog.com

こんな感じでムダを愛するって言うのが人間味をつくっていくんじゃないかなと。そしてムダだけどやるって言うのはやっぱりそこにワクワクがあって、自分にとって大事なものだと思うんです。だからこそ、それを確認したいなぁくらいの気分でノリで始めていいと思います。 

 

今日はどんなノリが待ってますかね。ノリで始めて真剣にです。

 

 

ほな、さいなら